過去は変えることが出来、未来は必然である
2013年09月02日
ある有名な方がおっしゃっていた言葉です。
ドラえもんは、未来からやってきました。そこでご先祖であるのび太君に対して、あなたが作った借金で未来は大変だから、僕がやってきた、というお話をします。そこで言うのです。『未来を変えよう!』と。この話は、多くの子供たちの定説となっています。未来は変えられると。
しかし、よく考えてみると、ドラえもんはのび太君の未来は変えているように見えますが、ドラえもんの過去を変えているということに気づきます。そこを突っ込むと、ドラえもんの話は成り立たなくなるので、深い突っ込みはなかったりします。
さて、表題にあるのはその逆です。まず、過去は変えられる、と言っています。
これは何かと言いますと、過去を実感できているのは、その人のみということです。自分の記憶の中に生きているのが過去であるとすれば、本人の都合によっていくらでも変えることができる、という意味です。
歴史上の人物でさえ、色々な定説があったりしますが、あくまでも後世の研究者などによって、創られた物語であります。これは教育の場でも良く遭遇しています。鎌倉幕府の成立年も今は1192年ではないと言われていますし、源頼朝の人物画も実は違う人のものであったりします。しかしながら、このことも本当に正しいか、と言われると、それは言いきれない、それが歴史であります。その間に伝える人物が装飾したり、ねつ造したりすれば、それが歴史の定説となってしまいます。
そういう意味で、過去は都合よく変えられるということです。
これを転職に当てはめると、職務経歴書は誰もが事実と経験を踏まえ、しっかりと記載していると思いますが、面接官側は100%信じることはありません、ということです。中には、全く信用していないという面接官もいます。
だから面接をするのです。書類上で良くても、実際会うとがっかりする、ということは多くあるからです。
候補者の中には、『職務経歴書に書いていることをなぜわざわざ質問するのか?』と疑問を持つ方がいますが、理由は上記の如くです。気を付けましょう。(当然、職歴書はしっかりと作成しなければ、書類選考を通過できません。)
そして未来は必然、ということを考えてみます。これも良く考えれば当たり前のことです。人生において、必ず岐路はあります。
右に行くか、左に行くかと考え、迷い、そして選択していく、その連続が人生なのでしょう。よって、右に行った後、後ろを振り返って、やっぱり左に行くべきだったか、と反省したり、後悔することはあっても、時間を戻ってやり直すことは絶対にできません。失敗したと思ったら、修正し、前に進んでいくということになります。故、人生は一本道を進んでいる、ということです。
人生の岐路に立ったとき、どれだけの情報を仕入れ、関係者の意見を聞き、そして自分で選ぶことが出来たか、そこのみに人生の価値はあるのかもしれません。
後悔するよりは反省したい、という言葉があります。
それは岐路に立ったとき、自分の本位でない選択をしてしまった故、あとで振り返り、後悔してしまう、というのは止めましょう、ということだと思います。
5年前の自分を振り返った時、今の自分が想像できるでしょうか?ほとんどの方が、今の状況になっているとは想像できない、と回答します。そのくらい、人生は色々な人の影響を受けており、個人の意思でコントロールが出来ないほど難しいということを物語っています。
思った通りいかない人生、将来を考えると悲しくなる、と嘆く瞬間であります。
しかし発想を変えて言い換えれば、思った通りいかない、だから人生は楽しいということだと思います。よく外国人などと話をすると、人生はゲームである、という趣旨の話をします。1回の人生をゲームと見立て、楽しむという発想になれば、多くの悩みは解決するものなのでしょう。
見習っていきたい考えです。