今を戦えない者に次とか来年とかを言う資格はない
2013年09月11日
そう言ったのは、イタリアのサッカー選手である、ロベルト・バッジョであります。彼は、イタリアのスーパースターでありますが、栄光と挫折の人生を歩んできた、苦労人でもあります。
栄光と言えば、ファンタジスタと呼ばれ、イタリア代表のエースとして3度のワールドカップに出場、欧州最優秀選手受賞など数限りありません。一方挫折と言えば、米国ワールドカップにおいて、決勝戦でのPK失敗、それにより国民から戦犯にされたこと、右膝十字靭帯断裂という大けが、移籍先においての不遇など、挙げればきりがないくらいです。
通常、これだけのスターならば、もう少し所属クラブやファンから大事にされると思うのですが、偉大すぎるその存在故、期待を裏切られた時の失望の反動が多く、とてもつらい経験をしてきたと思います。
その苦労人バッジョですから、数多くの名言を残しているのですが、私は特にこの言葉が心に沁みています。
よく、自分の現在の不遇などを嘆く人がいます。出来ないことを探すことのプロフェッショナルではないかと思うくらい、いい訳のオンパレードです。結果が良くないのは、他人のせいだ、環境のせいだと、このようなタイプは言います。
それについて、100%否定するつもりはないし、実際そういうことが多いのが人生なのだと思います。社会で生きる限り、周りからの影響は常に受け、自分の思った通りに行かないことが何と多いことか、と嘆いてしまいます。
かく言う私も、10年前まではこんな感じの人間でした。自分の中では絶対的な価値があり、その基準に合わない人たちを批判したり、非難したりと、今思うと何ともつまらない男であったと思います。
なぜそこまで卑屈な人間だったかというと、客観的な判断が出来ない自分がいたこと、情報が不足していて、自分自身がどういった目で見られているかを意識していなかったこと、そして、自分の能力を過信していたことなどが挙げられます。
人材ビジネスに入ったことで、多くの候補者に出会ってきました。管理系の案件を取り扱う関係上、候補者の多くは自分よりも優秀な経歴だったり、学歴であったりします。そして私よりも多くの時間勉強をしています。とても自分には出来ない努力である、と感じてしまうのです。
そんな優秀な候補者であればあるほど、すごく謙虚であります。自分はまだまだであり、優秀な方はもっと多くいるとおっしゃります。このような方は、日々勉強していることを自慢することはありません。プロフェッショナルだから当たり前のことだと爽やかにおっしゃいます。
そんなとき、このバッジョの言葉を思い出します。
自分の不遇を嘆く暇があれば、今何をすべきかをしっかりと考えること。そしてその積み重ねが結果として得ることができ、次のステージに進むことが出来るのだと思います。
周りがどうとかではなく、自分自身が戦えているのか?ということが大切なのだと思うのです。