今なお、人生は進行形
2013年07月03日
独立して4期目に突入しました。
同業者や、仕事に係わる人たちからは、よくがんばっていますね、という評価をいただけているのですが、自分自身にフォーカスすると、仕事ですから、当たり前のような毎日を過ごしている、という気持ちです。
ただ時折ふと、なんで自分は独立をしたんだろう、と思う時があります。
会社勤めしていたとき、特に2社目は、世界的な有名企業で、安定という言葉が第一に浮かぶほど、落ち着いた環境で仕事ができていました。私の周りの人たちも、これで私のサラリーマン人生は決まったと思っていたでしょう。
ところが、これまたふとした不安に掻き立てられ、安定した組織でぬくぬくと時間を過ごすことこそが、とてもリスキーなことかもしれないと感じてしまったのです。残ることがリスク、そう考え、その会社を辞めることにしたのです。
いろいろな考えを経て、現在に至っている訳ですが、あの時辞めなかったら、どのような人生だったのかと考ることがあります。
この考えは、恐らく私自身しかわからず、他の誰にも共有が難しいものであるともわかっています。人は、他人の人生に興味は抱くものの、ある種冷ややかな目を持って接することがあると思います。独立なんてリスキーな人生、よくもまあ、決断しましたね、と思っている人もいることでしょう。
その言葉を聞くたび、そうだよなぁ~と思ったり、あなたにはわからないでしょ、と反感を持ったりといろいろな感情がそのときの感覚でいろいろと湧いてきます。
でももうすでに走り出してしまっているし、後悔などはないですが、やはり独立しなかったなら、と頭をよぎったりします。そんな時は、なぜ独立したのか、というプロセスをたどることで、そうだ、そうだ、思い出した、と納得するのです。そもそも論に帰る、という感じです。
独立して良かったですか?と問われれば、今のところは良かったと思います、という回答です。でも将来どうか、ということはわかりません。それは独立していようが、会社勤めをしていようが、同じだと思います。大切なことは、そこに自分の意思があるかどうか、だと思うのです。
日本企業のサラリーマンだったとき、私は組織人たるを欲していた反面、組織に対してネガティブでありました。絶えず誰かの批判をし、ぶつけようのない自分の気持ちを整理することが出来ませんでした。そのため、34歳で辞めた2社目の、あの環境下であと1年は無理だったと思います。
独立したことで、多くの人に支えられていることがありがたいと思え、日々過ごせていることだけでも、意味があったと思っています。