奨学金制度を悪という、困った人たち
2016年06月05日
先日、奨学金を貰って大学に通った人の特集がテレビでありました。最近、この奨学金の返済が負担で、生活に窮している、という切り口でその番組は作られていました。
この奨学金制度はいろいろな種類がある訳ですが、利子をつけて返さなければいけないものもあります。当然、給与から返済額が引かれ、そこから実際の生活をすることになるのですが、それが苦しいということでした。
モデルになった方の話ですと、大学で約450万、大学院で約250万の合計700万くらいの借金がある、ということ。利子を入れれば更に返済額は膨らみます。だから、生活に希望が持てない、という論旨でした。
この話を聞いて、そりゃあ、苦しいだろうと思いました。普通に考えて、700万以上の借金を背負っている方がいれば、ある程度生活の制限は受けます。でも、借金をしてでも大学に行きたいだけの理由があった、自分でその選択をしたのです。いわゆる自己投資ですね。その結果、投資見合いを回収できていない、というだけの話だと思うのです。
世の中、やりたいことがあっても経済的事情でできない人はゴマンといます。その経済的事情と、時間とのバランスを考え、人は判断していかなければならないはずです。
大学に行くということは、その後の生活を有利にすることができる可能性はありますが、不確定要素でもあります。その人生の選択の連続の中で、現地点で上手くいっていないだけの話だと思うのです。
大学に行きたくても行けなかった人もいます。でも、少なくともこの人は大学に行くことができ、自分が勉強したかったことができたはずです。そして更に大学院まで行っている。そこで生活に窮していて、未来に希望が持てないと言われても、説得力は全くなく、同情もできません。何とか借りた借金を返すこと、それのみです。
こういったことを言う求職者は実は多いです。
『現在、自分が考えていた通りの生活ができていない。有名校に行けば、人生がうまくいくはずと思っていたのに、イメージ通りでない。自分が評価されないことはおかしい、世の中が間違っている』
というロジックです。
人生は不確定要素そのものだと思います。約束された人生などなく、思った通りいかないことこそが人生のはずです。だから苦しいと思うか、楽しいと思うかの差でしかないのです。
700万以上の借金を背負ってまでこだわった自分の選択だとすれば、それに誇りを持つべきです。それを希望が持てないと嘆き、人生を終わらせてはいけないのです。