私の中の『SOMEDAY』
2013年06月17日
ミュージシャンの佐野元春氏は、プロになる前に一度一般企業に就職されていました。
しかし、学生時代よりプロとして活動するに値する評価を受けていて、周りからの強烈なラブコールもあり、プロとして活動することを決意し、会社を辞められます。
デビュー曲からその実力を発揮し、多くの人の支持を獲得しましたが、一方、レコードの売上は伸び悩んでいました。
佐野元春氏も、プロとして活動していく自信はあったものの、確信にはまだ至っていない状況でした。
この『SOMEDAY』という曲は、3枚目のシングルとなります。1981年発売で、32年も前の曲ですが、今聴いても、古さなども感じない、素晴らしい曲であります。
この曲で佐野氏は確信に至るのですが、その理由が、初めて父親から評価を得られたから、ということです。父親自身も、会社経営者でしたから、息子のチャレンジについては寛大であったようですが、同時に、厳しいプロの世界で果たして成功するのだろうか、という心配もあったと言われています。
そんななか、この『SOMEDAY』を聴き、思わず、いい曲だな、とつぶやいたそうです。
この話を聞いた佐野氏も自信をつけ、その後次々とヒット曲をリリースし、日本を代表するロックミュージシャンとして地位を確立していきます。
私自身の話ですが、この人材紹介という仕事を始めたとき、当初思っていたよりも難しい仕事であると徐々に感じていて、同僚の多くが短期で辞めていく環境で、果たして生き残れるのかという不安がありました。
ストレスで耳鳴りがし、電話電話の毎日で行き詰まりを感じていました。その中でも、1件、また1件と実績が上がってきて、上司からもセンスがあるから成功する、心配するな、と声を掛けられるまでになりました。
しかしながら、自分自身の実感としては、成功するのか、という疑念が晴れずにいました。
その疑念が晴れたのが、人材紹介の仕事を始めて10か月後、とある企業の法務部長職を決めることが出来たときでした。その企業は、社会的にも注目されていた訴訟案件があり、決して候補者が応募したいと思える状況ではありませんでした。一方、法務の仕事にフォーカスすれば、これほどやりがいのあるポジションはありませんでした。
苦労の末、その案件を紹介できたとき、やっと自分自身も法務部専門のエージェントとしてやっていく自信がつきました。この案件を決めたことで、これ以上難しい案件はないだろうと本能的に感じたのです。
この案件を決めたとき、私は自然に父親に電話をしていました。難しい案件を決めることができた、この仕事で食べていけると思う、もう大丈夫だから、そんなことを言ったと思います。
今思うと、なぜそのような電話をしたのかわかりませんが、父親に報告することによって、自分自身の不安を払しょくしたかったのかもしれません。
昨日は父の日でした。雨の降る外を眺めていたとき、ふっとこのようなことがあったと思いだしたのでした。