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水魚の交わり、について

2013年07月23日

中国三国志の時代の話。

劉備は挙兵以来二十余年、多くの戦いに参加し、英雄として知られる存在になっていましたが、いつまでも自分の領地を持つことが出来ずにいました。人材と言えば、一騎当千と言われる、関羽、張飛、趙雲という将軍を従えていましたが、局地戦で勝利しても、大局において敗走を繰り返す日々でした。

そういった悩みを持っていたとき、水鏡という人物より、あなたには大局をつかさどることが出来る軍師が必要である、この土地に伏龍と言われる人材がいるから、その人物をお味方にしなさい、とアドバイスを受けることになります。

これが、諸葛亮孔明でした。

当時20代後半の青年に対して、劉備は三度その場所を訪ね、遂に軍師として招き入れることができました。これを三顧の礼と言います。

三国志という物語は、ここをターニングポイントに、新たな展開に入っていきます。赤壁の戦いにおいても、当時巨大な勢力であった曹操を、孫権と連携して戦ったのは、諸葛亮の活躍に依るところが大きいと言われています。

その後、天下三分の計を立て、劉備に蜀という国を持たせることに成功し、最終的には皇帝にまで引き上げました。

歴史を語るときに、どうしても結果で論じがちです。諸葛亮無くしては、劉備は一介の将軍に過ぎなかったと言われていますが、やはり私はそうではなく、劉備自身の器の大きさに感銘してしまうのです。

自分自身に何が足りないかということに謙虚であり、そのためには、自分よりも大きく年の離れた青年に対しても、教えを乞うという姿勢は、現代においても見習わなければいけないものであると思います。しかも、その意見については、ほぼ絶対的に信頼をし、諸葛亮がやりやすい体制を創り出しています。

あるとき、余りにも劉備が諸葛亮と時間を共にし、重要視しすぎるので、昔からの仲間、義兄弟の契りも結んでいた、関羽・張飛は大いに嫉妬したと言われます。そんな折、劉備は、余と孔明はいわば水と魚の関係に似ており、もはや切っても切れない関係になったのだ、とたしなめたということです。これが後に、水魚の交わりということわざとなりました。

諸葛亮孔明は、多くの日本人も知る、天才軍師であり、政治家であります。ただ、この諸葛亮が活躍するには、場所が必要でした。その場所の提供をしたのが、まさしく劉備であり、劉備が諸葛亮を信頼したからこそ、今日まで語り継がれる歴史物語となり得たのです。

私の仕事も軍師としての役割を大いに担っていると思いますが、諸葛亮のように信頼される立場に常になれるよう、毎日努力の日々です。人の信頼を得るということは、難しいことでありますが、得られたときの喜びは、代えがたいものがあります。 そのためにこの仕事をやっていると言っても過言ではありません。