LIFE 杉原千畝氏の残したもの
交渉上手な外交官
杉原氏は、語学が堪能だったようです。英語はもちろん、ロシア語、ドイツ語など、大変流暢に使いこなせたようです。特にロシア語は、ネイティブかと思えるくらいのスキルだったようです。
杉原氏は2度結婚しているのですが、初めの奥さんがロシア人だったということも要因であると思います。
例え、日本通過ビザを発給しても、ソ連が通過できないと意味はない、と考えた杉原氏は、ロシア人高官と交渉し、通過を認めさせたと言われます。
『日本を通過するユダヤ人たちは、金を持っている。だから彼らから金を徴収すれば、ロシア財政も潤うだろう?』
当時のソ連は財政が厳しかったので、その提案は魅力あるものであったようです。それは、杉原氏の持っているネットワーク、情報、コネクションなどがあって、初めて成立するものなのです。
また、最終目的地についても、今度はオランダ大使と交渉します。オランダ領にキュラソーという場所がある、ということで、そこを最終目的地にしようというものでした。
キュラソーってどこ?という問いに対し、実は私も知らないのだ、とオランダ大使は返したと言われます。
余談ですが、最近、WBCなどで活躍するオランダ代表選手は、実はこのキュラソー出身者が多いということです。カリブ海の国々は、メジャーリーガーを多く輩出しているので、無くてはならない存在になっています。
そのくらいの訳が分からないところであれば、ごまかせるだろうという知恵だったようです。難問だった2つがこれで解決しました。しかしながら、一番の壁が立ちはだかります。