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趣味・スポーツ 小林繁氏の死に際し、江川問題について

栄光の背番号19

小さいころの記憶であり、でも鮮烈に覚えているのがこの江川問題。
江川卓という一人の怪物に、球界全体が魅了され、しかし江川氏の態度に嫉妬し、ヒステリックになった「事件」でした。

子供心に、江川氏は悪で、巨人も悪ということが刷り込まれたけども、当時はまだ巨人ファンを続けていたのでした。その後、阪神ファンへ鞍替えするのですが、その途端、小林氏の引退という報道を受けたのを覚えています。
丁度そのときの日本一が日本ハムを下した巨人であり、日本シリーズの胴上げ投手となったのが江川氏でした。

「もう巨人はこれで安泰」

と思い、新たなチャレンジと地元で人気抜群だった阪神ファンへのあこがれもあり、鞍替えしたのでした。

その後、江川氏は大変活躍をするのですが、彼も短い選手生命でした。
奇しくも、30代前半という一番働き盛りで辞めていくことに、大変惜しいと思ったものです。

さて、この江川問題に関して言うと、現在においてはそんなに騒ぐべきことだったのか、と思ってしまいます。
過去、2度(高卒時、大学卒業時)とドラフトを拒否した江川氏でしたが、3度目の正直とばかり巨人を切望します。巨人もドラフト前日に江川と契約、ドラフト欠席という強硬手段に出ます。これが「空白の一日」と呼ばれる事件でした。ドラフト会議では阪神が指名権を得ます。
ルール上正しいのは阪神でしたから、江川氏は阪神へ入団するか、また拒否するかしかないと思っていました。

ところが、いったん阪神に入団した後、トレードで巨人へ、と江川氏は移籍します。この行為で多くの巨人ファンが去ったとも言われる大きな出来事でした。

江川氏がここまでして入りたかった巨人とは大変魅力ある球団で、今では計り知れない、大きなものがあったのです。メディアの露出度、引退後の第二の人生なども考えれば、プロとして活躍したい球団であることは大変理解できるのです。

でも怪物といっても、プロで何も実績がない江川氏と、沢村賞投手小林氏がトレードされることは、大変ショッキングでした。今でいう、菊池を取るために、ダルビッシュを出す、というくらいのインパクトはあったと思います。

さて、それは小林氏にとって悲劇だったのでしょうか?

江川氏は間違いなく、嫌われ者になり、今もその十字架を背負っていると言います。
一方、小林氏は悲劇のヒーローで、判官びいきの日本人体質に大変しっくりする立場でした。
ファンも増えたし、その実力も高く評価され、二度目の沢村賞を受賞しました。
得したのはどっちでしょう?

しかし、江川氏は引退後も安定した仕事をしていますが、小林氏は決してそうではありませんでした。それはやはり巨人というブランドの有る無し、だったのでしょうか?

これはあくまでも想像ですが、世間での評価があまりにも悲劇のヒーローとして作り上げてしまったので、その呪縛から逃れられなかったのではないでしょうか。
一方、江川氏は悪のレッテルを乗り越え、今はそんなことをした人だったの?として気にもされない地位を獲得しました。
すべては間違った評価、このように演じてほしいという世間、マスコミに勝てなかった部分もあったのかもしれません。

男として、言い訳をしないことへの美学を持ち合わせた小林氏でしたが、もっと泥臭く、人間臭く、ガスを抜いてみてはよかったのではないでしょうか。
お酒のCMで、「阪神が最高の要求をして、巨人が最大の譲歩をした場合、俺しかなかったはず。」と言ってましたが、それはどんどん言って良かったのではないでしょうか。

プロ野球選手としてこれだけの名誉ある対象となった選手で、結果も出した人です。
それ以上完璧であることは必要なかったのではないでしょうか。

背負ったものを下ろすことが下手であったと思います。
故、重荷を負って人生を過ごしてしまったところで、器用に活きている江川との違いを感じるのです。
決して江川批判ではありません。小林氏にそういった行動をさせなかった作られたイメージが、残念でならなかったのです。

背番号19。

これは私たち世代のエースナンバーです。決して18ではないのです。
ご冥福をお祈りします。

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