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旅・歴史 小田原、箱根そして三島と伊豆長岡温泉

小田原城にて

箱根温泉に行こう。そう思い立っていける距離が箱根の良さであります。

東京駅から東海道線に乗り、小田原駅まで約2時間で到着することができます。箱根までは小田原から小田急へ乗り換えすぐなのですが、すぐに温泉に入るのはもったいないと思い、小田原城を見学することに。

小田原駅から約20分くらいで小田原城へ到着できます。小田原城のすぐそばに歴史見聞館があり、小田原の歴史をいろいろな角度から楽しむことができます。入場料も300円と安いので是非お勧めで。

小田原城というと、秀吉による小田原攻めが思い出されます。「小田原評定」で有名です。歴史地図を見ると、その当時の北条氏の領土は大変広大であります。のちに徳川家康が国替えで入国することになりますが、その勘定でみると、200万石以上はあったということです。家康は、それまでは北条氏と伊達氏と同盟を結んでいましたので、この勢力が一つになった場合は、豊臣秀吉も命がけにならざるを得なかったでしょう。この背景から考えても、家康を屈服させるためのあれやこれやの懐柔作戦は、必死さすら感じます。

しかし、この得てして中途半端な懐柔策が、豊臣家が短期で崩壊してしまった大きな要因であったのも皮肉なものです。

さて、家康が秀吉配下になっても、北条氏は屈服することはありませんでした。そこで秀吉は大勢力をもって小田原攻めを行います。
その際、東北で飛ぶ鳥を落とす勢いで膨らんでいた伊達政宗も馳せ参じます。「独眼竜政宗」では、この小田原参陣がすでに遅いと判断した生母保春院は、弟の小次郎を当主に立てるため、政宗を毒殺し、その首を持って、秀吉に詫びを入れ、伊達家の安泰を図ったと描かれています。政宗は一命を取り留め、後の憂いを除くため、小次郎を切ります。

なぜこれだけのゴタゴタが起こったかというと、秀吉に屈服していた芦名氏を滅ぼしたこと、北条氏との同盟を当てにしていたこと、などが挙げられます。そこでも何とか秀吉の機嫌を取ることに成功することができたのが小田原なのでした。大変な勢力で小田原城を囲み屈服し責め、天下統一を果たすのでした。 

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