LIFE 杉原千畝氏の残したもの
戦後の杉原氏
結果、6000人以上の命を救った杉原氏ですが、その後の人生はとても不遇であったようです。まず、外務省より解雇されてしまいます。理由は、命令に背いた、ということです。(正式には別の理由になっているようですが)
このことで、杉原氏の心の葛藤が大きくなってしまったと私は思っています。人道的には正しいことをしたのだけれども、国を代表する立場では行ってはいけないことであったこと。
またこの人道的に正しい行為を行ったとしても、人によっては斜めから評価をする人たちもいます。
その一つ一つに反論することもできたでしょうが、それを行っても、突き詰めれば無意味であると結論づけたのだと思います。杉原氏自らの口から、この行為を大々的に語られることは無かったということです。
また、この時に助かったユダヤ人が、杉原氏を探していたということですが、長くその存在を突き止められなかったと言われています。
ドラマでは、杉原氏の名前、ちうね、が発音しづらく、センポ・スギハラ、と名乗っていたから、と描写されていました。
ただ、当時のリトアニアで勤務していた杉原と言えば、一人しかいないので、すぐにわかるはずです。これも外務省の嫌がらせではないか、とある本に書かれていました。
1985年にイスラエル政府から「ヤド・バシュム賞」を日本人で唯一受けることになります。その評価からかはわかりませんが、最終的に大きな評価を日本でも受けることになります。これは、妻と長男などのロビー活動のお蔭であるということもあるようですが、素直に、このような立派なことを、自らを犠牲にして行った日本人を、我々はもっと評価してみいいのではないかと思います。
このブログを読んで、一人でも杉原千畝という偉大な日本人を知ってもらいたいという気持ちです。
(参考:『杉原千畝の真実』 宮崎満教著 )