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旅・歴史 考 泣いて馬謖を斬る

そしてこの故事は成り立つ

泣いて馬謖を斬る、と後世まで語り伝えられることを、馬謖は当然知らないでしょう。

泣いて馬謖を斬る、と後世まで語り伝えられることを、馬謖は当然知らないでしょう。

さて、この蜀から見た「北伐」を遂行するにあたり、諸葛亮は大変慎重に行動します。

まず、昔蜀の武将であった魏の孟達に裏切りを画策します。十中八九成功する予定でしたが、司馬懿の電撃作戦によって失敗します。次に、魏延から奇襲作成を提案されますが、あまりにもリスキーだということで却下します。なるべく兵を温存しながら、確率論で勝てる作戦で侵攻します。

その後、魏の城を立て続けに落とすことに成功。後の蜀を支えることになる、姜維(きょい)も獲得に成功します。このままいけば、魏の主要都市、長安まで破竹の勢いです。

さて、ここで本題に入る訳ですが、この侵攻を成功させるために重要な任務が発生します。重要な地、街亭の守備を馬謖に任せることにします。かつて劉備に諌められたにも関わらず、彼を指名してしまうのです。

命令は、山間の街道を押さえておく、というものですが、馬謖は山の頂上に兵を置いてしまいます。曰く、「丞相(諸葛亮の役職)は臆病者だ。このように街道に配置をしたのみでは、相手を防ぐことはできるが、勝利を収めることはできない。あの山の頂に兵を配置すれば、烈火のごとく相手を殲滅できるであろう。」

この時、副将であった王平は山頂への配置に猛反対します。それを馬謖は臆病者と一蹴し、王平の一部部隊を残し、主力をすべて山頂へ移してしまいます。

魏軍はこの配置をみて、すぐに包囲。水路を絶って、兵糧攻めを行います。そこで弱ったところを四方より火を放ち、馬謖の軍は目も当てられない大敗を喫してしまいます。

この大敗を持って、諸葛亮の遠征は失敗に終わります。勢いを持って追撃してくる魏軍を防いだのは、これも夷陵の戦いで劉備を諌めたことで外された、趙雲でした。老将となっていた趙雲は、見事に殿を務め、最小限の被害を持って、蜀に戻ることに成功します。

この大敗の責任の所在を明確にしなければいけません。そこで諸葛亮は故事にある通り、「泣いて馬謖を斬る」を行います。

周りからは、この人材不足の蜀において、馬謖は数少ない人材であることで何とか諌めようとしますが、これを許すと、全軍の士気に関わると死罪を実行することにします。諸葛亮はその遺体を見て大泣きしたと言われます。

ここまで長く書いたのは、これが言いたかったのですが、一般的に秩序、ルールを維持している企業などが、自ら近い人物がその禁を破ったときに、どれだけの人が、諸葛亮のように振る舞えるか、ということです。なんちゃってコンプライアンス、というのは世間では日常とされていますが、そのことによって多くの企業が終わりの始まりを迎えている事例を良く我々は目にします。

私情を挟むともっと大きいものを失ってしまう例として、この故事が出来上がっていますが、3世紀の頃から人は大して進歩していないということなのかと思ってしまいます。