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旅・歴史 考 泣いて馬謖を斬る

出師の表

諸葛亮孔明。臥龍と言われるくらい、背が高い人物であったと言われています。軍師と言えば孔明、と言われるくらい有名な人物で、ファンも多くいます。

諸葛亮孔明。臥龍と言われるくらい、背が高い人物であったと言われています。軍師と言えば孔明、と言われるくらい有名な人物で、ファンも多くいます。

その病床で、諸葛亮を枕元に呼び、こう言ったといわれます。

「今後は息子阿斗(のちの劉禅)をよろしく頼む。もし支えるに値しない人物と思えば、そなたが変わって皇帝となりなさい」

それを聞いた諸葛亮は、絶対サポートを約束します。

そのときに、同時にこのようなやり取りがあったとされています。病床に同じく馬謖がいました。彼が部屋を出たとき、劉備は諸葛亮に言います。

「馬謖は才能あふれる人物だが、その言動とは裏腹に大事を任せられる器は持ち合わせていない。よって、くれぐれも重要な任務を任せてはいけない」

それから諸葛亮の徹底した内政政策が始まります。

この夷陵の戦いで多くの人材を失った蜀において、行わなければいけないことは山積みでした。国の基盤を固め、痩せた土地の開墾、異民族の平定などを積極的に行います。劉備から託された息子劉禅は、聞きしに勝る愚息でした。そんな愚帝をしっかりとサポートしつつ、国力も向上。満を持して劉備の悲願であった、魏への侵攻を行うことを決意します。そのため、呉としっかりと同盟を果たして挟み撃ちの懸念を払しょくします。

次に行ったのは、なぜ魏に侵攻しなければいけないかという大義名分作りです。蜀の武将のほとんどが、その行動に共感し、必ずやらなければいけない、いわゆるアイデンティティーと感じていましたが、そうでない武将・文官、そして何より劉禅に対してしっかりとしたものを提供する必要がありました。

これがかの有名な「出師の表」です。

この出師の表の内容は、読みようによっては遺言のようなものでした。危急存亡の秋(とき)という言葉に表せられるほど、今おかれている蜀の状況に危機感を持っていて、このままでは滅びてしまう、幸い蜀は人材が揃っていることに言及し、後漢が滅んだのは人材を大切にしなかったとし、劉禅にはしっかりと人材を大事にするように諌めています。その後、諸葛亮が劉備との出会いに際し、三顧の礼を尽くされたことに感動したこと、その劉備の意思をしっかりと果たしたいという内容が書かれています。

この出師の表を読んで泣かない男子はいない、と言われるほどの名分として知られています。