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旅・歴史 会津藩と保科正之

会津家訓十五か条

松平容保です。徳川家に対する忠義を貫き通しました。

松平容保です。徳川家に対する忠義を貫き通しました。

家光が正之に面会したとき、どのような希望があるか、と問うたところ、強欲な忠長と違い、大変謙虚であったと言われています。

自分を養子として迎えてくれた保科家に対する感謝を忘れず(正之を養子としたため、長男は廃嫡された)、忠実な家臣であり、そして聡明であるこの弟を何とか引き上げたいと考えます。

お江、秀忠が無くなった後は、信濃高遠25,000石の保科家を最終的には陸奥会津23万石まで引き上げます。

家光臨終の際には、枕元に正之を呼び、徳川宗家と世継ぎである家綱のことを託しました。正之は自分をここまで引き立ててくれた兄と徳川宗家に永遠の忠誠を誓います。正之はその後、水戸藩徳川光圀、岡山藩池田光政と並び、江戸初期の三名君に挙げられるまでになりました。明暦の大火の際は、その後処理、江戸の町の再生、そして消失してしまった江戸城天守閣の再興を反対するなど、その手腕をいかんなく発揮します。

そして正之は、『会津家訓十五か条』を定めることになります。それは、『会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない』などと書かれています。

 これが幕末の容保にも受け継がれ、最後まで守ったということだったのです。歴史はある点だけを見て語るのではなく、過去に遡り、いろいろな関連を知ることでより楽しめるものだと思います。 

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