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趣味・スポーツ 『永遠のゼロ』を読んで

祖母の記憶に残った闇

戦場のピアニスト。全編ノーカットで観ると、結構重いです。本当に大変な時代でした。

戦場のピアニスト。全編ノーカットで観ると、結構重いです。本当に大変な時代でした。

祖母(母方)の話は強烈でした。

「戦争はもういらん、ホンマにいらん。」

祖母は大阪在住でした。大阪での空襲の記憶は消えることが無かったと思います。私の母は昭和19年生まれです。本土への空襲がひどくなってくるころに生まれました。

空襲警報が鳴り、まだ乳飲み子であった母を胸に抱え、防空壕へ急ぎ逃げます。防空壕の中では皆空襲に怯え、そしてナーバスになっていました。乳飲み子である母にとっては、不快極まる場所でしかない防空壕では、遠慮せずに泣きまくります。

「うるさい、泣かすな!ええ加減にせえ!」

など、容赦ない罵声を浴びせられたそうです。その度、すんません、すんません、と謝り、一生懸命あやしていたそうですが、余りにも周りの罵声が激しいので、空襲の中に飛び込んでいったろか!と思ったそうです。

戦場のピアニスト、という映画で、同じような描写がありました。泣き叫ぶ女性がいて、最初はうるさい人、という言葉が出てくるのですが、なぜ泣き叫んでいるかという理由が分かり、皆黙ってしまいます。

赤ちゃんが泣くと、ドイツ兵に見つかってしまうから、母親が口を押えていたら、それで窒息してしまった、ということでした。

祖母はキレずに、我慢して思いとどまってくれたおかげで、今私はこの場所に存在することができるのです。ホント感謝です。

祖母はとても優しく、よく私の実家にも遊びに来てくれたし、私も大阪の祖母に会いに行くこともありました。しかし一つだけ億劫なことがありました。それが就寝時です。祖母は就寝後しばらくして、寝言を言うのです。しかしそれは寝言、というレベルではなく、叫びとでも言いましょうか、当時の私は怖いくらいのものでした。時には涙ながらに、時には何かを掴むように、毎晩叫ぶのです。

今になって思うのは、空襲を受け、逃げ回っていた頃を思い出していたのでしょうし、そのときに色々なものを見たことが、夢となって出てきていたのだと思います。祖母が88才の生涯を全うし、葬儀屋の人が祖母の半生をマイクで語った時、私は涙が止まりませんでした。

祖母にとって、戦争はいつまでも終わらないものだったのです。