Wanderlust 勝どきで働くヘッドハンター、小林毅の公式ホームページ

▼ 旅・歴史

▼ 趣味・スポーツ

▼ LIFE

LIFE 経営者インタビュー~松原伸禎氏~

趣味で始めたホームページ制作がやがてビジネスに

H:そもそもHP作成を始めたきっかけは?

M:大学在学時に、中国へ留学したんです。そのときに、日本の情報を得る手段としてインターネットを使うことになったのですが、とても便利だなぁと思っていましたね。帰国したら、本格的にインターネットについて勉強してみたいと漠然と考えるようになりました。大体Windows98が騒がれていた頃で、1998年くらいでした。

まずは自分でHPを作ってみようと考え、無料の作成ソフトから作ることから始めました。

そのうち、アルバイト感覚でネットを使って稼げないかなと考えるようになりまして、その時凝っていた趣味の延長でエンタメ系のサイトを作ってみました。すると、非常に評判が良く、多くの問い合わせを受けるようになりました。その後、サイトにクライアントの広告を掲載したり、雑誌のインタビューを受けたりするなど人気が出るようになり、結構な金額を稼ぐことができました。

H:なるほど。興味対象からビジネス対象へと気持ちが変わったのですね。

M:そうですね。この世界は面白いと思いました。このとき大学3年生だったので、周りの友人は普通に就職活動をしていましたが、私は、今就職して将来を決めるのではなく、もう少しネットビジネスの将来性を見極めてから、自分の方向性を決めたいと考えるようになりました。

しかし当時の環境下では、まだ評価が定まらないネットビジネスに、且つフリーランスで始めたい、と言っても、誰も相手にしてくれないし、まして両親を説得することは難しいと思っていました。そこで、もう少し勉強したいという意味で、大学院へ進むこととし、少し時間稼ぎをしようと考えたのです。

H:なるほど、そうすると、両親も納得しますね。慌てて就職するより、自分が何をやりたいかを見極める、そのためにもっと勉強したいという理屈は筋が通っていますね。

M:ええ、実際北海道大学の大学院に合格しましたからね。両親は北海道に息子が行く、ということに何の疑問も持ちませんでした(笑)。

H:でも、事情が変わってきたのですね。

M:そうです、今までネットで稼いでいた収益モデルが、変わったことにより、大きく収入減となったのです。それまでの4分の1くらいまで落ち込みました。私としては、大学院の学費も、この収入から払うつもりでしたから、その当てが外れる形になったのです。そうすると、大学院へ進むことに意味を見いだせなくなってしまい、あわてて就職しようと舵を切った感じです。

H:それはいつ頃ですか?

M:大学4年の2月です(苦笑)。もう就職活動の主役は新4年生に移ってますね。この時期でしたから、両親は大学院へ進むべきだと主張してきました。でも自分の関心は別の方向にあったんですよ。

H:なるほど。ただ、時期から考えると大変不利な環境だったと思いますが。

M:普通のやり方では難しいと考えました。そこで、どんな形でもいいので、企業にアプローチできないかな、と考えていたんです。あるとき大手商社のグループ企業がネット系の仕事が出来る方、とアルバイト広告が出ていたのです。これは面白そうだと考え、応募することにしました。すぐに採用され、2月からその会社でアルバイトを始めたのですが、同社の期待値以上の成果を出すことができ、だったら4月から正式に働かないか、ということになりました。

H:偶然なのか必然なのかわかりませんが、何が幸いするかわかりませんね。それより何より、即戦力として会社に評価してもらえた結果ですね。

M:そうなりますね。当時はIT革命と言われていた時期ですが、HPを請け負う企業というのがそんなに多くはない環境でした。会社も、受注は受けたが、どうしようか、と考えていた状況でしたので、タイミングが良かったんですね。

H:その会社でのお仕事はいかがだったのですか?

M:当初はウェブデザイナーとして案件に携わっていたのですが、そのうち会社も仕事をどんどん受注するようになり、手が回らないから人を増やせということになったんです。新卒なのに、チームを任されることになり、2年目にはディレクターのような仕事をするようになりました。

H:会社も本腰を入れたということですね。やりがいもあったと思います。

M:そうなんですが、入社して2年弱くらいで会社を辞めることになったんです(笑)。きっかけはいろいろとあるのですが、特に会社に不満を持って関係が悪くなってという訳ではないです。

当初は予定していなかった企業への就職でしたが、約2年の在籍期間はとても貴重な時間でした。企業で学んだことはとても多く、現在の仕事に活きています。あのまま何も知らない状況で個人事業を始めていたら、今の姿はなかったかもしれません。