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LIFE 経営者インタビュー~小松俊明氏~

キャリアのスタートは商社マン

H:大学卒業してからは、総合商社に入社されたのですよね?なぜ商社を選ばれたのですか?

K:学生時代に1年間米国に留学したことがきっかけで、将来は海外で生活し、グローバルビジネスをしてみたいと思ったからです。いろいろアイディアを考えて、ビジネスを仲介することにも興味がありました。眼が海外に向いたきっかけは、子供の頃の海外生活もありますが、それよりはむしろ大学3年生のときに1年間休学して、アメリカ西部の田舎にある州立大学に編入したことが大きかったように思います。日本人がいないような場所に行ってみたかったんです。二十代前半のたった一人で過ごした海外生活は、自分にとってとても貴重な一年間になりました。

H:当時はまだ日本の景気も良くて、就職もいい時期でしたよね。そのいい時期に敢えて1年間、大学卒業を遅らせてまで海外留学に挑戦しようと考えたのですか?

K:確かに景気のいい時代で、友人らは続々と優良企業に就職していきました。ただ、自分としては社会人に急いでならなくても、いわば多少回り道をしてでも自分が知らない外の世界に飛び込んでみたいと思ったことを、今でもよく覚えています。

H:そして大学卒業後は、総合商社を選ばれた?

K:そうですね。グローバルビジネスに関わるには、総合商社が一番近道なのではないかと、当時は考えていたのだと思います。

H:大手総合商社ですから、大きいビジネスも出来たでしょうし、エキサイティングな環境だったのでしょう。

K:安定した大企業でしたからね、やりがいもありましたよ。でも、私個人としては、実は入社後、かなり早い段階で、その会社で長く勤めることは自分には難しいなと気づいたんです。優秀な先輩も多く、待遇や世間体もいい会社でしたが、日本の大手総合商社というのは、思った以上に日本的な就労観や体育会系の企業カルチャーの強い組織であって、帰国子女の自分にはミスマッチだったのかもしれませんね。

一方、たまたま父親の知り合いで、海外事業で成功された人物がいたのですが、その世界観やライフスタイルを知る機会があって、自分も同じような生き方をしてみたいと感じました。そのことが、安定的な大手企業を辞める決断をする直接的なきっかけになったんですよ。

H:それで総合商社には何年いらしたのですか?

K:3年間です。今思えば、大手企業で10年くらい修行をしてから辞めるという選択肢もあったかもしれませんが、当時の私としてはたぶんそこまでは待ちきれなかったんですね。まあ、思い切った決断だったと思います。若かったんだと思います(笑)。

H:ご結婚もその時期ですよね?

K:そうなんです。妻とはお互いが社会人になってからすぐに出会っていて、私の色々な思いを伝えたり、相談にも乗ってもらう時間が十分にありました。当時27歳だった私と、まだわずか23歳だった妻にとっては、お互いに日本の会社を辞めて海外に行って事業をやるんだという志をもったことは、これから若い二人の冒険が始まると感じて、いわばワクワク感が強かったんです。例え失敗しても、十分まだやり直しがきく、という気持ちもありました。やらないであとで後悔するより、まずはやってしまえ、という感じでした。勢いですね、まさしく(笑)。

H:ご両親、特に奥さんのご両親の反対は無かったのですか?

K:これが不思議と無かったんですよ。私の父も、そして妻の父親も大手企業で働くサラリーマンでしたが、むしろ若者が新しい生き方に挑戦するんだね、という感じで前向きにとらえてくれて、むしろ後押ししてくれて、お金まで貸してくれました(笑)。自分のやれなかったことを息子がやるということで、息子達の冒険をおもしろがっていたようにすら見えました。

H:それは小松さんの決意が固く、成功するんだという気持ちが伝わったからだと思いますよ。

K:どうでしょうね。あまり気負った感じではなかったのですが、成功するまで日本に帰らないなんて、家族には偉そうに言っていたそうです。あ、十分気負ってますね(笑)。

H:総合商社を辞めて、なぜマレーシアを選んだのですか?

K:私は年長から小学校4年生までの5年間をマレーシアのペナン島で過ごしました。そのおかげでマレーシアには多少の土地勘もあり、知り合いもいたことが大きかったですね。また日本と違って物価の安い国でもあり、日本にはあってもマレーシアにはまだない様々なサービスが当時はありましたので、ビジネスチャンスがあると思ったからです。そこで当時、現地にはまだなかった求人情報誌を発行する出版社を始めました。